Don't Surrender!!-「勝敗を決める三要素」の正体
このコラムを読んでほしい。かなり有名な、遊戯王と運の関係について書かれたコラムだ。
「運」「デッキ構築」「プレイング」この三要素が遊戯王に対してどのような影響を与えているのか。雑文らしくグダグダと書いていきます。
遊戯王に運の要素はある。
たとえば、今自分の場には《八汰烏》と《首領・ザルーグ》が並んでいる。《八汰烏》で攻撃した。そして今、《首領・ザルーグ》で攻撃した。相手の手札は《死者蘇生》と《青眼の白龍》の二枚。もし《死者蘇生》をハンデスしたら、そのままヤタロックとなり勝ち。しかし、《青眼の白龍》を落としてしまうと、次のターンに蘇生され、《首領・ザルーグ》に大喝采してくると超過ダメージでこちらが負ける。この状況では、どちらが勝つのかは50%。それは決闘者が誰であろうと変わらない。勝ったほうはなぜ勝てたのか。それは簡単だ。「運」があったからに他ならない。
たとえば、相手がどんなに初心者であろうとも、デッキにエクゾティアパーツさえ入っていれば、その初心者は勝つ可能性を持っている。もし、その初心者がエクゾティアで勝った場合、なぜ勝てたと分析するのか。これはとても難しい。「運」があったからでは済まされない。エクゾティアが初手にそろう確率は1/10000よりも低い。しかし、その確率分だけはその初心者が勝つべくして勝ったと考えることはできないのだろうか。屁理屈といわれれば屁理屈だが、遊戯王は戦いが始まる前から「デッキ構築」の違いというハンディがある。
運と実力が絡むゲームの例を挙げると、トランプや麻雀などがある。しかし、全員が同じ条件で戦いが始まっているという点では遊戯王とは大きく違う。
ゲーム「ポケットモンスター」を例に挙げる。あのゲームの通信対戦なんかはまさにそうだ。「つのドリル」が全部ヒットして勝つという「運」があり、技の読み合いと交代のタイミングという「プレイング」がある。しかし「コイキング」では「ミュウツー」には勝てないだろう。これは「運」でも「実力」でもない。もうひとつ別の何かが働いているというわけだ。
「デッキ構築」というもうひとつの能力。これについても認識を正しく持たないといけない。別に【ドグマブレード】などを考案する力のことをさしているわけではない。経済的な面を無視すれば、インターネットを使えば「強いデッキ」というのは簡単に組めてしまうからだ。夢見屋さんのコラムでの「デッキ構築」という表現には語弊があると僕は考える。
たとえば、【リクルカオス】【閃光ガジェ】【ハーピィ】の三つのデッキのみが存在する環境を考える。【リクルカオス】は【ハーピィ】に、【ハーピィ】は【閃光ガジェ】に、【閃光ガジェ】は【リクルカオス】に、それぞれ70%の確率で勝てるとしよう。そのときに各デッキはほぼ同じパワーを秘めているが、【リクルカオス】と【閃光ガジェ】が戦ったときに【閃光ガジェ】が得ているアドバンテージ。これが「デッキ構築」に代わる「勝敗を決める三要素」のひとつでは無いかと考える。「メタ」という能力と言い換えるべきだろうか。
Lipstick After Afterというデュエル小説の中に、「メタゲーマーは しんどいでしょう?」というセリフがある。
「メタゲーム」というのは、簡単に言ってしまえばじゃんけんだ。こういう説明でメタゲームを説明する人がいて、こういう風に認識している人がいる。これも大きな誤解がある。上の例では三つのデッキパワーは全く同じであり、どれかにメリットがあるわけではないので、じゃんけんと全く同じだろう。しかし、上の例だと【閃光ガジェ】が【リクルカオス】に勝つ確率が80%に上がると話が変わってくる。さらに実際の環境はさらにたくさんのデッキジャンルがあるわけだし、カード一枚違えば当然勝率は変わる。そういうことを追求していけば、「メタ」によってアドバンテージを得ることが可能となるし、それはじゃんけんなどといった単純なものではなく、かなりリアルタイムに変化し複雑なものとなる。
しかし、この研究をすることは、実際の遊戯王のプレイとはどんどんかけ離れていく。必死にネットで環境について調べることが面白くないと思ってしまうプレイヤーが多いのも事実。「メタゲーマー」はその能力で強さを誇っているわけだから、「つらい」のだ。
たまに、全部のデッキが同じくらいの強さの環境だと面白いのに、という意見を耳にすることがある。しかし、【海竜族】から【究極完全態・グレート・モス】までが全てほとんど同じレベルで凌ぎを削りあっているということは、メタがほとんど役に立たないと言い換えることもできる。そうなってしまうと、ただのバリエーションがあるトランプと何の違いがあるのだろうか。
デュエルの「運」というのは長期的な視点で見るかどうかでかなり違うものになる。10回やって1回勝てるようなデッキでも、10%は勝てるわけだ。その勝ったデュエルは「運」に見える。しかし、残りの9回には負けたら、運でもなんでもなくて、妥当なわけだ。
「運」の要素がほとんど絡まない将棋のようなゲームだと、一局の勝敗がそのまま実力の上下を示す結果として信用のあるものになるが、遊戯王の場合はそれが10回だったり100回だったりの視点で見ないとわからないというだけの話だ。しかし、それは確実に「メタ」と「プレイング」の差を示していることになる。
僕には「プレイング」と「メタ」がデュエルの勝敗を基本的に左右するものだが、たまに「運」が降ってくるものだと見える。やっぱり実力勝負が一番。でも「運」があるから楽しい部分もあるものだ。
このコラムを読んでほしい。かなり有名な、遊戯王と運の関係について書かれたコラムだ。
「運」「デッキ構築」「プレイング」この三要素が遊戯王に対してどのような影響を与えているのか。雑文らしくグダグダと書いていきます。
遊戯王に運の要素はある。
たとえば、今自分の場には《八汰烏》と《首領・ザルーグ》が並んでいる。《八汰烏》で攻撃した。そして今、《首領・ザルーグ》で攻撃した。相手の手札は《死者蘇生》と《青眼の白龍》の二枚。もし《死者蘇生》をハンデスしたら、そのままヤタロックとなり勝ち。しかし、《青眼の白龍》を落としてしまうと、次のターンに蘇生され、《首領・ザルーグ》に大喝采してくると超過ダメージでこちらが負ける。この状況では、どちらが勝つのかは50%。それは決闘者が誰であろうと変わらない。勝ったほうはなぜ勝てたのか。それは簡単だ。「運」があったからに他ならない。
たとえば、相手がどんなに初心者であろうとも、デッキにエクゾティアパーツさえ入っていれば、その初心者は勝つ可能性を持っている。もし、その初心者がエクゾティアで勝った場合、なぜ勝てたと分析するのか。これはとても難しい。「運」があったからでは済まされない。エクゾティアが初手にそろう確率は1/10000よりも低い。しかし、その確率分だけはその初心者が勝つべくして勝ったと考えることはできないのだろうか。屁理屈といわれれば屁理屈だが、遊戯王は戦いが始まる前から「デッキ構築」の違いというハンディがある。
運と実力が絡むゲームの例を挙げると、トランプや麻雀などがある。しかし、全員が同じ条件で戦いが始まっているという点では遊戯王とは大きく違う。
ゲーム「ポケットモンスター」を例に挙げる。あのゲームの通信対戦なんかはまさにそうだ。「つのドリル」が全部ヒットして勝つという「運」があり、技の読み合いと交代のタイミングという「プレイング」がある。しかし「コイキング」では「ミュウツー」には勝てないだろう。これは「運」でも「実力」でもない。もうひとつ別の何かが働いているというわけだ。
「デッキ構築」というもうひとつの能力。これについても認識を正しく持たないといけない。別に【ドグマブレード】などを考案する力のことをさしているわけではない。経済的な面を無視すれば、インターネットを使えば「強いデッキ」というのは簡単に組めてしまうからだ。夢見屋さんのコラムでの「デッキ構築」という表現には語弊があると僕は考える。
たとえば、【リクルカオス】【閃光ガジェ】【ハーピィ】の三つのデッキのみが存在する環境を考える。【リクルカオス】は【ハーピィ】に、【ハーピィ】は【閃光ガジェ】に、【閃光ガジェ】は【リクルカオス】に、それぞれ70%の確率で勝てるとしよう。そのときに各デッキはほぼ同じパワーを秘めているが、【リクルカオス】と【閃光ガジェ】が戦ったときに【閃光ガジェ】が得ているアドバンテージ。これが「デッキ構築」に代わる「勝敗を決める三要素」のひとつでは無いかと考える。「メタ」という能力と言い換えるべきだろうか。
Lipstick After Afterというデュエル小説の中に、「メタゲーマーは しんどいでしょう?」というセリフがある。
「メタゲーム」というのは、簡単に言ってしまえばじゃんけんだ。こういう説明でメタゲームを説明する人がいて、こういう風に認識している人がいる。これも大きな誤解がある。上の例では三つのデッキパワーは全く同じであり、どれかにメリットがあるわけではないので、じゃんけんと全く同じだろう。しかし、上の例だと【閃光ガジェ】が【リクルカオス】に勝つ確率が80%に上がると話が変わってくる。さらに実際の環境はさらにたくさんのデッキジャンルがあるわけだし、カード一枚違えば当然勝率は変わる。そういうことを追求していけば、「メタ」によってアドバンテージを得ることが可能となるし、それはじゃんけんなどといった単純なものではなく、かなりリアルタイムに変化し複雑なものとなる。
しかし、この研究をすることは、実際の遊戯王のプレイとはどんどんかけ離れていく。必死にネットで環境について調べることが面白くないと思ってしまうプレイヤーが多いのも事実。「メタゲーマー」はその能力で強さを誇っているわけだから、「つらい」のだ。
たまに、全部のデッキが同じくらいの強さの環境だと面白いのに、という意見を耳にすることがある。しかし、【海竜族】から【究極完全態・グレート・モス】までが全てほとんど同じレベルで凌ぎを削りあっているということは、メタがほとんど役に立たないと言い換えることもできる。そうなってしまうと、ただのバリエーションがあるトランプと何の違いがあるのだろうか。
デュエルの「運」というのは長期的な視点で見るかどうかでかなり違うものになる。10回やって1回勝てるようなデッキでも、10%は勝てるわけだ。その勝ったデュエルは「運」に見える。しかし、残りの9回には負けたら、運でもなんでもなくて、妥当なわけだ。
「運」の要素がほとんど絡まない将棋のようなゲームだと、一局の勝敗がそのまま実力の上下を示す結果として信用のあるものになるが、遊戯王の場合はそれが10回だったり100回だったりの視点で見ないとわからないというだけの話だ。しかし、それは確実に「メタ」と「プレイング」の差を示していることになる。
僕には「プレイング」と「メタ」がデュエルの勝敗を基本的に左右するものだが、たまに「運」が降ってくるものだと見える。やっぱり実力勝負が一番。でも「運」があるから楽しい部分もあるものだ。

